町田駅に行ってみた

 

皆さんは、町田駅を知っているだろうか。もしくは、行ったことがあるだろうか。

 

そう、大分県玖珠郡九重町にある、町田駅です。

「くすぐん」「ここのえまち」と読みます。町田はふつうに「まちだ」。

 

1937年開業、1984年廃止、通っていたのは国鉄宮原線。九州らしく「みやのはる」と読みます。

 

私は東京都町田市で生まれ育った地理オタクとして、この駅にずーっと来たかった。画像だけで見たことのある町田駅のホームに、直接足を踏み入れたかった。

大分県の町田駅を知っている、通りがかったことがあるという人は少なからずいると思うが、町田駅の周りに何があるのか、他に「町田」のついた地名や施設があるのか、はあまり知られていないと思う。町田の徹底調査をしたので、徹底的にレポートしていきますよ。

 

■国鉄宮原線と町田駅

国鉄宮原線は、久大本線の恵良(えら)駅から分岐し、肥後小国駅までを結んでいた路線。行き止まりのいわゆる盲腸線ですが、肥後小国から西、隈府(菊池)を通って瀬高に至り、国鉄佐賀線(廃線)と接続して佐賀まで向かう構想もあったとのこと。

恵良駅からは基本全列車が一つ隣、玖珠町の中心地である豊後森駅まで直通していたらしい。路線名になっている「宮原」とはどこなんだという話だが、小国町の中心地が宮原という地名。

 

恵良や豊後森は大分県、小国町は熊本県。小国町・南小国町は熊本県の他のエリアとは阿蘇カルデラを隔てて離れており、今でこそ国道で簡単に熊本に行き来できるものの、宮原線が通っていたころ、モータリゼーションの進む前はかなり大分・日田よりの文化圏だっただろうと感じます。

本題の町田駅は恵良駅から南に分かれた隣の駅。宇佐から玖珠、九重、小国、菊池を通って熊本を結ぶ幹線道路である国道387号に面してホームと駅名標が残されており、知らない人でも「あれ?」となる可能性があるレベルで、国道沿いに突然駅跡があります。

 

奥の看板には「身辺調査 しない させない 九重町」と書かれている

特に案内板などはないけれど、けっこう目立つ存在。ただ国道の拡幅工事でホームは削られてしまったようで、線路の跡地などは全く分かりません。ホーム長は4両分ほどでしょうか。

 

駅名標はかなり錆びついているものの、しっかりと立っています。おそらく当時のままのもの。町田駅の隣駅は、恵良駅と、宝泉寺駅です。相模大野でも成瀬でも玉川学園前でも古淵でもありません。

国道の拡幅工事で完全に跡形がなくなるわけではなく、こうして駅名標とホームの土台が残されているのを見るに、地域の方から愛されている存在なのかも。

 

東京都の町田駅。資料写真みたいな筆者撮影写真。悲しいことにタワーレコードは閉店した。

ところで、神奈川県東京都にある町田駅は、もともと横浜線が「原町田駅」、小田急線が「新原町田駅」。横浜線の駅を南側(現在のターミナル口付近)から小田急に近づけて現在地に移設する1980年に、当時の町田市長の肝いりで「町田駅」に改名したという歴史を持ちます。

つまり、大分の町田駅が元祖・町田駅であり、神奈川県東京都にある町田駅は二代目と言えるのです。しかも大分の町田駅は1984年に廃止、横浜線の町田駅は1980年改名なので、4年間だけ、町田駅が国鉄に2つ存在し、「町田→町田」のきっぷが買えたことになります。町田(横)→町田(宮)だったのだろうか。

 

■町田駅周辺を見てみよう

町田駅と国道は斜面の中腹に位置しており、ホームからは集落を見渡すことができます。

階段を降りると、小さな児童公園が。名前などは特に見当たりませんでしたが、「町田駅前公園」でしょうか。芹ヶ谷公園ではありません。

公園から道路に降りる途中に民家の敷地のようなところを通りますが、その向かいの家は理髪店だったようで、駅前として往時の賑わいを感じさせます。

集落から駅方面を見上げる。右手の建物が元理髪店。

この集落はその名も「町田川」に沿って開けた小さな集落で、山に挟まれながらもケーキ店が営業していたりとしっかり暮らしがあります。

 

そしてこれまで名前を濁してきましたが、駅前の集落の名前として最も使われているのは…

「南山田」…っぽい。町田じゃないんかい。

小学校や公民館、郵便局が「南山田」という名称です。

調べてみると、明治の町村制施行のときに、町田村、菅原村、引治村、粟野村が合併して南山田村が成立。村役場が置かれたのが町田村で、その結果、町田という地名が南山田という地名に少しずつ置き換わっていったのではないかと思います。

ちなみに「南山田」は合成地名とかではなく、山田郷の南側に位置することに由来する名称とのこと。今でも玖珠町には北山田という地名が残り、久大本線にも北山田駅があります。

現在の地名としては「九重町大字町田」で、十中八九このエリアを町田の集落と呼んでいいのだと思いますが、確証は持てず。時間があれば九重町の図書館に行きたいところでした。

 

さて、駅から降りた旧国道はバス通りになっており、酒屋の前に玖珠観光バスの「町田」バス停があります。

かつては宮原線の廃止代替として豊後森から肥後小国まで繋がっていましたが、今では県境を越えるバスはなくなり、豊後森から峠の手前の集落までの路線に。

下りのバス停の方には立派な待合室がありました。バスで帰ってくる人を待つことがあるのでしょうか。バスは平日1日12本、休日6本。思ったより多い。

 

そして待合室の横には、大きく茂った松の木のおかげで非常に見づらいのですが…

見づらい

完全に錆びついた「→ 町田駅 MACHIDA STN..」という看板があります。これはちょっとすごすぎる。よく残っている。

ものすごくすごいので、どうか処分されたりせずに、貴重な遺産として遺され続けてほしいです。万が一処分することになったら、東京都町田市かJR東日本か小田急電鉄か私に寄贈してほしい。九重町さん、どうかよろしくお願いします。

 

余談ですが、実は一度この看板を完全に見逃しており、その日の夜に別府の快活CLUBでWikipediaを見返していたら

「すぐ下を通る国道387号(引用注:旧道)の道路脇(町田バス停横)に、『町田駅 MACHIDA STN. →』と表記された錆びついた案内板が残っている。」

と書かれており、あまりの驚きに駆られ、翌朝もう一度やってきたのでした。写真に明るいものと暗いものがあるのはそのため。

町田駅 (大分県) - Wikipedia

 

■町田の朝ラッシュ

せっかくなので、町田の朝ラッシュを観察してみましょう。快速急行がバンバン停まるといいですが。

今は平日の朝、7:31。朝一番のバスがやってきます。

九重町は高校のない町で、高校はバスの行き先である豊後森(玖珠町)まで行かないとありません。地方の公共交通は高校生の通学で成り立っているといいますし、ラッシュの混雑やいかに……?

町田の朝ラッシュ、乗降客数は0人でした。おそらく乗っている客もいませんでした。運転士からかなり怪訝な目で見られた気がします。調べると家族の送迎で通学している生徒が多いらしい。

 

左側の「南山田中学校」あたりがこのエリア。

平日の朝、車や工場の音などもあり、生活があることが感じられます。

ただ駅近くをぐるっとしてみた感想としては、「意外と町田の名がつく場所が少ない」こと。小学校や郵便局などの公共機関は前述の通り南山田で、その他は「九重」を名乗っている施設も多いです。

ただ、大字町田自体はけっこう広域なので、少し車を走らせてみましょう。

■町田の発電所、町田の牧場(跡)

15分ほど車を走らせ、大字町田ではあるものの別の川で形成された違う谷に位置するのが「九州電力町田第二発電所」。水力発電所です。

しゃれた建屋ですね。大正11年の建築らしい。富山県入善町の発電所美術館みたいになってほしい。

住所は「大字町田・字責ノ釣」。せめのつり?ふしぎな響きで、妙にかっこいい地名だ。

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町田第二発電所があるということは町田第一発電所もあるのだろうか?と疑問に思うのが筋ですね。

すれ違いの出来ない細い山道を、前日の大雨による泥にタイヤを取られつつ登っていくと、ようやくたどり着きました。こちらは普通の建物だ。住所は「大字町田・字風穴」。かざあな?ふうけつ?どちらにせよかっこいい。

 

地理院地図より引用

あとは牧場があるっぽいので行ってみましょう。「町田バーネット牧場」と書かれています。

 

…閉業。無。

 

在りし日の姿(Googleストリートビューより)

残念ながら2024年9月に閉業してしまったようで、なにかしら跡地や痕跡が残っていないかと探しましたがありませんでした。牛豚どもが夢の跡。Instagramを見るとかなり美味しそうなおおいた和牛や豚肉を生産していたようです。町田で育った肉、食べたかったですね。

https://www.instagram.com/machidaburnet/

 

結論:町田には発電所2箇所があります。牧場がありました。

 

■町田にある温泉街

そのほか、町田の名前こそついていないものの、大字町田にある他のスポットを足早に見ていきましょう。

 

温泉街(宝泉寺温泉)。

 

駅(引治は隣の大字ですが、久大本線引治駅は町田の端っこにあります)。

 

滝(閉鎖中)。

 

苔トトロ。

 

結論:町田には温泉街があります。別府や由布院もいいけど、町田の温泉街にも泊まってみたい。

 

 

■遺構が残る宮原線

余談ですが、国鉄宮原線は町田駅に限らず、かなり遺構が残っています。恵良駅から町田駅にかけては国道の拡幅工事であまり残っていないのですが、町田駅より南、宝泉寺駅には信号機や設備が遺されており、一つの観光資源として活用されています。駅名標は復元っぽい。

 

さらに宝泉寺駅より南に行くと、いくつかのトンネルが連なっています。一車線しか走れない山奥のトンネルを一人で駆け抜けていると、ここを汽車が走っていた数十年前をが思い起こされる。この遺構が関東近郊にあったらサイクリングロードなどとして観光整備されていそうなくらい風光明媚でよく形を遺していますが、完全に生活道路として使われています。しかも地図には載っていません。

 

さらに南に向かうと、登録有形文化財にも指定されている立派な橋も。

そのほか、豊後森駅には扇形の豊後森機関庫が遺っていたり、肥後小国駅の跡にある道の駅小国では宮原線の展示もあるそう。

私は地理オタクでありながら廃線にはそこまで触れない人生を送ってきましたが、とても巡り甲斐のある良い廃線でした。

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おわりに

多摩ナンバーの車で東京から行ったのに、町田駅の駅名標と多摩ナンバーを一緒に写真に映すのを忘れました。あとは小田急電鉄子育て応援マスコットキャラクター「もころん」を連れて行くのも忘れました。ケーキ屋さんでケーキも買ってみたい。いつか再訪したいですね。

 

「とりあえず渋谷か新宿」が嫌いな西側民

何の気なしに、しかし常日頃から思っていることをツイートしたら、注目を集めてしまいました。

 

 

「1000%同意」「なるほど」「渋谷新宿は人が多すぎる」「飯田橋はセンターオブトーキョー」など概ね好意的なリプライや引用RTが多いものの、中には批判的な反応も。

Xでは「東京」の話がいつでもバズっていますね。東京の東西、東京と京阪神の比較、東京と地方の比較などなど。

自分の中での整理も含めて、補遺としてとりとめもない文章を書きます。

 

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想像以上に多かったのが、「お前東側の人間だろ」という反応。

 

私は西側の人間です。

田園都市線で生まれ、東横線、京王線、小田急線、西武池袋線、大江戸線を最寄りとしたことがあり、中央線沿いの大学に通っていました。マツコ・デラックスから馬鹿にされそうなくらい、西側の人間。今は世田谷区の中北部に住んでいる、20代後半のひねくれた低所得男性。だからこそ、"とりあえず"渋谷・新宿が苦手なのです。

 

"とりあえず"を強調するのは、特定の店を目的に行くのであれば渋谷でも新宿でももちろん問題ない、ということ。行きたい店でもいいし、行きつけの店でもいい。もちろん渋谷にも新宿にもいい店はたくさんあるし、いい店かどうかはその人の好みでしかありません。

 

「この店に行きたい」ではなく、「(3人以上で)集まる」「飲み会をする」ことを前提として、参加者の食の好みも特に分からないときに、"とりあえず"鉄道路線が集まっていて店がたくさんあるという理由だけで渋谷や新宿になるということが嫌い、というだけ。同じお金を払うのであれば、人が少なく、かつ店が探しやすい街を選びたいのです。

 

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渋谷と新宿の何が嫌いかというと、単純に、人ごみ。

"とりあえず"で人ごみに突っ込みたくない。人が多いと、そのぶん店も玉石混交になる。

東京のなかで渋谷と新宿に特筆すべき点は、”複数の鉄道会社が集まる交通結節点”と”繁華街”が同じ地点にある、ということ。JR・私鉄・地下鉄の駅が四方に広がり、巨大化しすぎている。単なる乗換客や移動客(例:職場から帰るために駅に向かう人)と目的客(例:居酒屋を探す人、二次会会場を探す人)が交差する構造になってしまっているのが問題。

あとは、山手線の渋谷-新宿間が混みすぎていることも要因の一つ。副都心線・埼京線・湘南新宿ラインユーザーならまだしも、渋谷を拠点にしている人が新宿に、新宿を拠点にしている人が渋谷に行くために、渋谷/新宿で乗り換えて、さらに山手線に乗るのは非常にきつい。井の頭線という解決策もありますが、井の頭線渋谷駅はちょっと西側すぎます(それゆえの繁華街へのアクセスの良さもあるけれど)。

 

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その点でいうと、池袋は実はそこまで苦手ではない。あまり詳しくないだけというのもあるけれど、駅構内は人こそ多いが構造は田の字状で分かりやすく、人の流れがあまり交差しない構造だと思う(副都心線が遠すぎるという問題はあります)。

上野は似ているけれど、上野でJRと地下鉄、京成を乗り換える人はあまり多くない(たぶん)し、繁華街が駅南側に集中しているので分かりやすい。銀座線の天井は低すぎるけど。

 

西側の人間だからこそ、東側の人に渋谷・新宿に来させるのが悪い、とさえ思っている。ましてや地方から来る人をや。品川で新幹線から山手線に乗り換えるのは本当にきつい(東急新横浜線ありがとう)。

 

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で、飯田橋・神田・日本橋というセレクトについて。

これはシンプルに通っている路線が多くて、適度に繁華街があり、高級すぎず、通ってない路線からもアクセスしやすい、このくらいの理由でしかありません。

 

飯田橋は中央総武線、東西線、有楽町線、南北線、大江戸線。その結果、目黒線、西武池袋線、東上線、埼玉高速鉄道からも直通。
市ケ谷(都営新宿線⇒京王線)や九段下(半蔵門線⇒田園都市線・伊勢崎線)から歩いてもいい。市ヶ谷からはお堀沿いをのんびり歩けるのが良い。(実は東西線の位置が神楽坂下から北にずれていることはちょっと難点)

 

神田は結局のところ、中央線・山手線・京浜東北線のJR3路線が強いし、地下鉄は銀座線だけだけれど、半蔵門線(表参道)・南北線(溜池山王)・丸の内線(赤坂見附)とすぐ乗り換えができる点が強い。場所によっては三越前(半蔵門線)や岩本町・小川町(新宿線)からも歩ける。

 

日本橋は銀座線・東西線・浅草線だけれど、場所によっては三越前(半蔵門線)や茅場町(日比谷線)も歩ける。ただ日本橋駅周辺は単価高めだし、「日本橋エリア」の中でどこが良いか、という話はそれはそれで論争を呼ぶと思う。人形町や茅場町、馬喰町に詳しくなりたい。ちょっと安易に列挙してしまったかもしれないけれど、でも深夜のコレド室町とか、大好きなんだ。

 

次いで、神保町か日比谷でしょうか。少し店選びが難しい気もしますが。

 

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別に東に住んでいるわけでも、東を贔屓しているわけでもありません。

多方面からアクセスが良く、人が多すぎず、適度に店のある街が西側に足りていない、というだけ。自由が丘、下北沢、吉祥寺、どこも楽しい街だが、特定路線が交差しているだけで、多方面からのアクセスが良いわけではないし、人が多い。

 

コメントによく出ていた街は、上野・秋葉原・新橋。どこも「東」です。

どこも繁華街なので決して得意ではないけれど、渋谷・新宿よりはぜんぜん良い。なぜならJR駅に交通結節点機能が集約されていて、駅と街の境界線が比較的はっきりしているから。

上野なら湯島や上野御徒町、秋葉原なら末広町や岩本町、新橋なら内幸町など、「裏口」的な別の駅からアクセスできることも良いところだと私は思っています、オタクなので。新宿は新宿三丁目や新宿西口が一応あるけれど、渋谷は「裏口」がないのが厳しい。すべてがスクランブル交差点に集約されてしまう構造。

銀座や表参道というコメントもありましたが、私は低所得なので難しいです。

 

・

 

南西からぐるっと、飯田橋・神田・日本橋でどうにもならない沿線があるか、試しに考えてみましょうか。

 

東京モノレール:たぶんタクシーでどこでも行ける人たちが住んでいる。浜松町乗り換え神田。

 

京急:日本橋直通。品川乗り換えで神田。青物横丁で飲もう。

 

京浜東北線・東海道線:神田。というか沿線にあらゆる飲食店があってすごい。各駅で飲める。鶴見で飲んでみたい。

 

大井町線:やや難しい。大井町乗り換えで神田か、大岡山乗り換えで飯田橋。大井町か荏原町で飲もう。

 

池上線:難しい。蒲田or五反田乗り換えで神田が一番良いかなあ。池上線の人がいたら、五反田で飲もうか、と提案してしまうかも。五反田の浅草線乗り換えが遠すぎるので日本橋は個人的には難しい。荏原中延か雪が谷大塚で飲もう。

 

目黒線:南北線で飯田橋直通。溜池山王ですぐ銀座線乗り換えで日本橋・神田。三田線を優先すると日比谷か神保町も選択肢になるか。目黒駅でJR乗り換えは慣れの問題な気もするけど正直遠い。西小山で飲もう。

 

東横線:地味に難しい。東横線に限っては新宿三丁目が上位候補に上がる。渋谷駅が深すぎる、日比谷線が遅すぎる、副都心線と東西線の乗り換え駅がない、という難しさがある。一応、日比谷線に乗って銀座乗り換え日本橋・神田か。だったら日比谷でいいかも。東急多摩川線や田園調布以南なら目黒線と同じ。学芸大学で飲もう。

 

田園都市線:永田町乗り換え飯田橋。日本橋・神田は表参道対面乗り換え銀座線か、三越前から歩いても良い。三軒茶屋は人が多いので、桜新町・用賀か、高津で飲もう。

 

井の頭線:渋谷のマークシティ乗り換えを許すなら銀座線で日本橋・神田。明大前・市ヶ谷乗り換えで飯田橋も悪くないけれど、渋谷と吉祥寺の集客力が強すぎるので、結果的に難しい。神泉のいい店を教えてくれればそこに行きますよ。

 

小田急線:一番「新宿」か「渋谷」になりやすいと思う。千代田線が分かりやすい繁華街を通っていないことも要因。でも新宿駅で山手線・総武線への乗り換えが容易なので、飯田橋は意外と近い。新宿三丁目まで歩くより、新宿で乗り換えて別の町に出ちゃったほうが楽だと私は思っています。
話を戻すと、千代田線直通、表参道乗り換え神田、大手町乗り換え日本橋だろうか。個人的にはあまり表参道の乗り換えが好きではない。むしろ湯島から御徒町・上野に行きたい。梅ヶ丘、経堂、祖師ヶ谷大蔵で飲もう。

 

京王線:新宿線で市ヶ谷乗り換えで飯田橋。小川町から歩いて神田。九段下で乗り換えて日本橋。新宿線は繁華街を通っていないので絶妙に不便だけど、絶妙に便利。というか荒木町でもいいですか。幡ヶ谷・笹塚・代田橋で飲もう。

 

丸ノ内線:新宿か四ツ谷で総武線乗り換えで飯田橋、中央線乗り換えで神田。地味に日本橋には時間がかかる。方南町で飲もう。

 

中央線・総武線:飯田橋と神田。日本橋も東西線直通。というかすべての街で飲める(千駄ヶ谷・信濃町を除く)。中野でも高円寺でも西荻窪でもどこでもいいです。

 

西武新宿線:東西線で飯田橋、日本橋。野方で飲もう。

 

大江戸線:都庁前で外回りに乗り換えて飯田橋。基本深すぎてどこからも遠いけれど、まあ新宿乗り換えとして都営新宿線に準じます。

 

池袋線:練馬以西なら有楽町線で飯田橋。桜台以東の人がいたら池袋にしてしまうかも。江古田で飲もう。

 

有楽町線:飯田橋。

 

東上線:和光市以西なら有楽町線で飯田橋。成増以東の人がいたら池袋にしてしまうかも。中板橋で飲んでみたい。

 

三田線:難しい。強いて言うなら大手町乗り換えで日本橋。春日乗り換えで飯田橋でもいいけれど、春日駅の乗り換えが遠いうえ、大江戸線飯田橋駅が深い。三田線の人がいる場合、神保町か日比谷で行きたい店を探すかも。それか内幸町から新橋。春日・白山もいい店ある気がする。巣鴨でも良い。

 

埼京線:「新宿?渋谷?どっちでもいいよ〜」となる数少ない人たち。赤羽以北なら京浜東北線に乗り換えて神田。せっかくなら十条行きたい。京浜東北線の東十条からも来れるよ。

 

京浜東北線・宇都宮線・高崎線:再掲。神田。というか沿線にあらゆる飲食店があってすごい。各駅で飲める(上中里と尾久だけはわからない)。

 

日暮里・舎人ライナー:山手線で神田。

 

東武伊勢崎線:北千住乗り換え千代田線で大手町乗り換え日本橋。半蔵門線で三越前から神田・日本橋。あとは北千住・上野(日比谷線)。

 

つくばエクスプレス:秋葉原で飲むのが良い気がする。一駅乗り換えてもらって神田、秋葉原乗り換え飯田橋。新御徒町で飲んでみたい。

 

常磐線:上野or日暮里乗り換え神田。というか上野集合でもいいですよ。

 

常磐緩行線:西日暮里乗り換え神田、大手町乗り換え日本橋。亀有で飲もう。

 

京成:日本橋直通。それか上野。町屋で飲んでみたい。

 

総武線:飯田橋。新日本橋から神田・日本橋。錦糸町ももちろん良い。亀戸でも良い。

 

都営新宿線:岩本町から神田まで徒歩(?)。九段下乗り換え飯田橋。馬喰横山乗り換え日本橋(?)。理論上こうなるけれど、馬喰横山の乗り換えは微妙だし、実際岩本町で秋葉原かも。というか荒木町でもいいですか。新宿線東側のいい飲み屋教えてください。

 

東西線:日本橋、飯田橋。日本橋乗り換え神田。門前仲町で飲もう。

 

京葉線:新木場乗り換え飯田橋。有楽町乗り換え神田。日本橋には地味に行きづらい。

 

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結局何が言いたいかというと、東京の東西は短い。もちろん路線にはよるけれど、東西線・総武線・都営新宿線にアクセスさえできれば、すぐ東西は行き来できる。千代田線・有楽町線も速い(有楽町線は新木場と市ヶ谷以外乗り換えが遠すぎるけれど)。

表参道、赤坂見附、御茶ノ水を始めとして、乗り換えの近い駅を知れば、東京はもっとたのしい。東西で争っても何も生まれない。西の人はもっと東へ、東の人はもっと西へ行こう。

 

そして西の人が東で飲むことには明確なメリットがある。帰りの電車が空いていること。東の人が西で飲んでも渋谷や新宿だと空いていない気がする。

 

一方で、昨日実際に新宿を避けて飯田橋で飲んだ結果、痛い目を見た。

というのも、終電を逃しタクシーで帰ろうかとなったときに、距離が倍くらいに増えてしまうので、結局始発を待った。西側の人がタクシー帰りするなら新宿で飲んでください。でもタクシー帰り前提だったら私は中野とか幡ヶ谷とか梅ヶ丘とか桜新町とか学芸大学で飲むけどな。

 

 

おわりに

 

欲張りな皆さんのために、都内のおすすめのごはん屋さんを紹介しますね。

 

tabelog.com

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おわりに2

 

中野は山手線が通っているので、最強です。

 

 

東京九州フェリーのStarlink Wi-Fiが快適、でもPCを繋ぐにはAndroidが必須かもしれない話

まとめ

  • 東京九州フェリーの船内Wi-FiはStarlinkベースで、スマホでは170〜200Mbps出るレベルで快適
  • しかしMacBookでは認証画面で弾かれて一切繋がらなかった
  • MACアドレス偽装、User-Agent偽装、Client Hints偽装(デバイスツールバー)など一通り試したが全滅
  • 原因はPasspoint(Hotspot 2.0)+ EAP-TLSクライアント証明書認証の仕様らしい
  • 「AndroidのWi-Fi共有」であればモバイル電波なしでWi-Fi回線を再共有できる可能性がある?

 

結論:今回のような「スマホは繋がるがPCだけ弾かれる」船舶・地上のStarlink Wi-Fiでは、iPhone単独では詰む。Androidなら可能性があるかも。

 

背景:StarlinkのおかげでiPhoneは驚くほど快適だった

船の上からこんにちは。

2026年7月、横須賀と新門司を21時間で結ぶ東京九州フェリーに人生2度目の乗船。

今ちょうど、新門司から横須賀に向かっているところです。

2年前に乗船したときとの大きな違いが、船内Wi-Fiが提供されていたこと。

1年くらい前からロビーなど共有スペースでは提供されていたらしいが、2026年4月から客室でも提供開始。

 

24時間1500円、データ量制限は特になし。1日の通信量として考えると高いけれど、24時間の暇つぶしとしてはこれ以上ないコスパの良さである。

ちなみに2年前はとにかく暇で、かつけっこう揺れた(大浴場も入れないくらい)ので、ひたすら眠っているしかなかった。ちなみに船内はとても綺麗で過ごしやすいですよ。

 

さて、Starlinkベースの「フェリーWi-Fi」がどれだけ使えるのか。

太平洋のどまんなか、携帯回線では「圏外」になる海域でも、iPhone 15 Proでは170〜200Mbps。普通にYouTubeの閲覧などもストレスなくできるくらいの通信速度。

客室だとたまに途切れることはあるものの、再接続も問題なく、使用には全く不満がありません。正直言ってすごすぎる。革命。

 

しかし、これならPCで作業もできるなと思ったのが格闘の始まりでした。

 

認証の仕組み:2段階のSSID構成

フェリーWi-Fiの認証は以下のような構成。

1.「Entry」というSSIDに接続する

2. ブラウザでキャプティブポータル(認証画面)が開き、カード番号などを入力して認証

3. 認証が通ると構成プロファイル(.mobileconfig)がダウンロード・インストールされる

4. このプロファイルの効果で、以降は「ferry_Wi2」というSSIDを選択すると、にパスワード入力なしで自動接続できるようになる

 

同じ手順をMacBookで試したところ、

「Entry」への接続はできるものの、認証画面に進んだあとに「このOS(***)はサポート対象外です」と表示。

また「ferry_Wi2」に直接繋ごうとすると、Macでは一般的なWi-Fiと同様のパスワード入力画面が出てくるものの、もちろんパスワードは不明。

 

試した回避策

もしかしたら追加で1500円払うことになっちゃうかなー、と思いながらも、「PCをスマホだと誤認させればいい」という発想で、以下を試しました。Claude様々です。

 

① 「インターネット共有」:不可

いわゆるiPhoneからのテザリングは、キャリア電波的には圏外なので、インターネット共有がそもそも使えません。USBやBluetoothで接続しても同様です。

 

② MACアドレス偽装:不可

Terminalを使ってMacのMACアドレスをiPhoneのものに書き換えることを試みましたが、NG。

sudo ifconfig en0 ether xx:xx:xx:xx:xx:xx

iPhoneの「プライベートWi-Fiアドレス」機能も解除して試しましたが、接続はできず。

 

③ User-Agent偽装:不可

Chrome/SafariのUser-Agentを「iPhone」に偽装して認証画面にアクセスしました。それでも同じく「このOSは対応していません」でNG。

 

④ Client Hints(デバイスツールバー)偽装:不可

Chromeの開発者ツールでデバイスを「iPhone 14 Pro」として認証画面にアクセスしましたが、同様にNG。OS判定の表記が (***) とマスクされている。

 

認証:Passpoint(Hotspot 2.0)+ EAP-TLSクライアント証明書認証

iPhone側の「設定 > 一般 > VPNとデバイス管理」からインストール済みプロファイルの中身を確認したところ、以下の通りであることが判明。

SSID ferry_Wi2 の暗号化方式は表示上「WPA2」。

しかし同時に passpoint.wi2.co.jp というサーバー証明書と、その発行元であるGlobalSign Extended Validation CA のルート証明書がプロファイルに含まれている。

つまり、Passpoint(Hotspot 2.0)に基づいた、企業向けの証明書ベース認証(WPA2-

Enterprise / EAP-TLS)であり、端末専用のクライアント証明書が発行されるしくみだった(らしい、Claude曰く)。

 

そもそも原則非対応

ダメ元でスタッフに「スマホは快適に使わせてもらってますが、PCは接続方法ありますかね」と聞いてみたところ、「PCは原則非対応でスマホ専用です」とにべもなく断られてしまった。

フェリーWi-Fiの公式FAQでも「Android/iOS/iPad OSを搭載のスマートフォン及びタブレットでご利用いただけます。なおPCではご利用いただけません」と記載がある。八方塞がりです。

https://eapconfig.wi2.ne.jp/ferry/faq/

 

 

今後:Androidなら可能性があるのかも

 

iPhoneではモバイルデータ通信が圏外の場合、そもそもインターネット共有を開始できないというのは前述の通り。

ただ、Samsungの「Wi-Fi共有」をはじめ、Androidであれば「Wi-Fiホットスポット」「Wi-Fiテザリング」をONにするだけで可能性があるっぽい。Wi-Fiチップセットとハードウェアの性能次第とのことだが、実際に出来ている人もいるので、今後試してみる価値はあると思う。

https://dev.classmethod.jp/articles/starlink-ferry-wifi-tqf/

もしくはiPadを仕事に使っている人であればそれでも良いと思う。AirDropやUniversal ClipBoardは問題なく使える。

 

ちなみに、私はPixel 3aをサブスマホとして所有しているものの、引っ越し時にどこかに行ってしまい半年間姿を見せていない。まさかこの失態がここにつながるとは。

 

余談:「au Starlink Direct」は無関係

調べる過程で、「auでStarlink契約すればいいのでは」という発想も浮かんだものの、これは全くの別物でした。

au Starlink Directは、スマホが衛星と直接通信するサービスで、通常のデータ通信は非対応、テザリングも非対応、メッセージ送受信や一部対応アプリのみが利用可能とのこと。

船内はとても豪華です

 

おわりに

イーロン・マスク、この点に限っては本当にありがとう。KDDI、素晴らしいサービスをありがとう、でもちょっと抜け穴を用意してほしい。Apple、そういうとこだぞ。Pixel、出てきてくれ〜。

2つの“ゴースト”展ーシステムの余白に現象するもの、アーツ前橋 / rin art association

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2025年秋冬、アーツ前橋で「ゴースト」展が開かれていた。

とてもキャッチーなタイトルだ。

正式名称は『GHOST 見えないものが見えるとき』。

平田尚也や山内祥太、竹村京といったいわゆる現代美術の展示で見かけるアーティストから、巨匠と言えるボルタンスキーやアピチャッポン、横尾忠則、さらには諸星大二郎やヒグチユウコといった商業的な人まで、参加アーティストは幅広い。

 

岩根愛《FUKUSHIMA ONDO, Honolulu, Hawaii》

自動ドアを入ると、岩根愛の写真作品から始まる。

ハワイの日本移民の祭祀や盆踊り(ボンダンスと呼ばれるらしい)を映した写真だ。福島県からの移民が多かったらしく、盆踊りでは「フクシマオンド」が踊られるらしい。

福島からハワイへ、太平洋を越えた移民たちの姿に、第五福竜丸やビキニ環礁を結びつけてしまうのは現代の視点すぎるだろうか(作品は2011年以降に撮影されている)。

ハラーイル・サルキシアン《処刑広場》

シリア出身の作家による、人のいないダマスカスやアレッポの広場を映した作品。

 

丹羽良徳《モスクワのアパートメントでウラジーミル・レーニンを探す》

丹羽良徳がモスクワでウラジーミル・レーニンの足取りを探して市民に声を掛けつづける映像作品。

なるほど、人の不在と在の間、それがゴーストなのか?

 

尾花賢一+石倉敏明《赤城山リミナリティpart2 / 火山娘たちのドリーミング》

階段を下ると尾花健一+石倉敏明による赤城山の伝承をもとにした架空の物語のインスタレーション作品。架空にする必要はあったのだろうか。
続いて、諸星大二郎の幽霊やお化け、怪奇現象を描いた漫画作品。
ヒグチユウコの幽玄なポスターやイラストレーション。うーん…?

 

新平誠洙《Phantom Paint #1》

新平誠洙は生成AIが描いたノイズにまみれた肖像画のイメージを油画で描いている。
生成途中の奇妙な容貌をゴーストとするのはたしかにおもしろいし、人間が本能的に感じる”ゴーストっぽさ”といっても過言ではない、と思う(それを人間が油絵で描いているのもおもしろい)。

一方で、容貌によって人が"ゴースト"化させられてきた歴史的事実は枚挙にいとまがない。群馬県草津町には北関東唯一の国立ハンセン病療養所があった。

 

山内祥太《Being...Us?》

山内祥太は大きな吹き抜けの空間を使ったインスタレーションになっていた。

生成AIで紡がれた文章をビジュアライズした映像がモノリスのような巨大なLEDモニターに映っている。周囲には砂が撒かれ、異形の存在が佇んでいる。

異形の存在

人類が滅んだあとの世界を表しているらしく、キャプションには「未来におけるゴーストとはなにかという問いが投げかけられる」とある。映像は目まぐるしく変化するが、砂の上に佇む異形の存在は時が止まっている。

たしかにリアルな造形なのだが、そこに「リアリティ」(=生命っぽさ)は薄い。この感想は過去見てきた山内祥太の作品がパフォーマンスを含むものが多く、リアリティが強かったことにも起因しているかもしれない。人間と植物のように、生態学的時間感覚が異なる可能性もあるが、少なくとも読み取ることはできなかった。

このインスタレーションで、我々は完全に他者として、まるで動物園の檻の中を覗くかのように作品を鑑賞せざるを得ない。すなわち、「未来」というものが現代と隔絶された世界として描かれており、未来が現代の延長線として繋がっていることが示唆されない。

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トニー・アウスラー《Obscura》

全体を通して、作家の数が多い。アーツ前橋の決して広くはない空間に22組のアーティストの作品がならぶ。章立てもなく、掴みどころがむずかしい。サイトスペシフィック性の欠如した芸術祭のようだった。

またゴーストというテーマにおいても、全体的に視覚偏重で、「気配」の感じられない展示だった。彫刻(いわゆる彫像や塑像だけではなく、空間作品としての彫刻も含む)が少なく、対象が枠に閉じ込められている作品が多い。

トニー・アウスラーの大きな空間も興味深かったが、あくまでビデオアートで、時空的な延びはなかった。全体的に、時が止まっていた。悪く言うと、「心霊写真美術展」だった。

 

アピチャッポン・ウィーラセタクン+チャイ・シリ《The Importance of Telepathy》

彫刻や気配という点ではアピチャッポン・ウィーラセタクン+チャイ・シリの彫刻作品にはとても重い意義があったと思うが、そのサイズ(40cmほど)を活かしきる展示手法にはなっていなかった。
解説には”タイの「ビ・プーン」と呼ばれる精霊を想起させるものである。ビ・プーンは死者の霊ではなく、超自然的な力と村人を苦しみから救う能力を持つと信じられている、生きた人間である。”とある。

対象が”生きた人間”である作品、それをゴーストと呼んでよいのだとしたら、あらゆる人物像がゴーストになってしまうのではないか。

丸木位里・俊《原爆の図 第一部 幽霊》

丸木位里・俊《原爆の図 第一部 幽霊》も展示されている。広島の原爆の被害者を描いた、四曲一双の屏風だ。原爆の図を目の前にするといつもわたしは心が燃えるように縛りつけられるが、この解説には「大怪我をした被爆者たちは(中略)「幽霊」に喩えられた」とある。

全体的に”ゴースト”よろしく地に足のついていない展示において、この2つの作品があることにより「多様性」と「政治性・歴史性」を強制的に担保しているように見えてしまう。そして、アーティストが、作品が、展示が、何をゴーストとするのか、というレトリックが倫理的な越境を行っているように見えることを指摘せざるを得ない。

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ゴーストとは何であるかについて解いた展示ではない。ゴーストとはどのようであるかという表象のみに向き合った展示だった。

決してお化け屋敷のようにこわがらせてほしい、おびえさせてほしいわけではないが、これまでに「気配」を感じさせられた現代美術の展示はいくつもあった。

「目 非常にはっきりとわからない」@千葉市美術館、「不在の観測」@岐阜県美術館、冨安由真「漂白する幻影」@KAATなど。岡山芸術交流2019「もし蛇が」も不穏だった。これらの展示はタイトルからして不穏である。「見えないものが見えるとき」という言葉はあまりにも直裁で、まったく不穏さはない。

冨安由真「漂白する幻影」より

 

(あとこれは個人的な感覚だが、キャプションの日本語がかなり口語っぽく、主述が不明瞭だったり、文の長短がばらばらだったり、とても読みづらかった。アーツ前橋の特別館長であり本展示のディレクターである南條史生の文章なのだろうか。)

 

 

アーツ前橋にはもっとゴースト的な存在がある(あった)ではないか。そう、2020年11月に消えた作品はどこに行ったのだろうか。

アーツ前橋の作品紛失問題。市が計400万円を支払うことで作家遺族と和解|美術手帖

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所変わって、高崎駅の東口にあるrin art associationに来た。

これまでも気になる展示は何度も行われていたが、ついぞ初訪問。宇佐美圭司(1940-2012)の個展「go-stop plan」が開催されていた。

「go-stop」は「ゴースト」と読む。

私が宇佐美圭司に興味を持ったのは、2021年に東京大学駒場博物館で開催されていた「宇佐美圭司 よみがえる画家」展がきっかけだった。人体の有機的な線を脱構築し、幾何学的に飛び跳ねるような絵画作品に人間への賛美と希望を感じた。この展示は、東京大学中央食堂に長年掲示されていた作品《きずな》が2017年の改装工事で不用意にも廃棄されてしまったことを教訓にして開催されたものだった。

 

今回は主に初期作品が展示されていたのだが、ハンドアウトには以下のように書いてあった。

宇佐美にとって大きな転機になったのは、1965年にアメリカで一冊のカルチャー誌「LIFE」を手にしたことでした。その中に掲載されていたロサンゼルスのワッツ地区で起こった暴動事件における1枚の報道写真から「たじろく人」「かがみ込む人」「走りくる人」「投石する人」の四つの人型を抽出し、それらを記号化させて画面の中に展開していきます。今展覧会のテーマであるゴーストは宇佐美作品においての鍵概念であり、ゴーストはアクセルとブレーキの作用によって現れると宇佐美は定義しました。

一見するとランダムで乱雑なように見える宇佐美の作品だが、つぶさに見続けていると共通する部分に気づく。4人のシルエットを各々に重ね合わせ、各々に共通する部分を描く。その重なりと余白とを、図像として描き出す。初期作品であるがゆえに、このプロセスが分かりやすく描かれた作品も多い。

私が惚れた有機的で幾何学的な集合体が、システムに基づいたものであったことに驚き、かつ心が沸いた。私はこういう、システムを描いた作品が好きだ(北脇昇、荒川修作、飯田善國など)。

 

1階の小部屋の中には、インスタレーション作品である 《Laser: Beam: Joint》 が展示されている。
元々はレーザー光線を用いていた部分を、今回は毛糸で再現している。それゆえインスタレーションと同じ空間に入ることができ、宇佐美が構築した絵画のシステムを身体を以て体感することができる。あらゆる角度から、透過光の絵画が常に生じ、常に消える。自身の身体も、レーザー(=毛糸)でにべもなく切り取られ、システムの一部、もしくはその余白と化す。

 

宇佐美は暴動事件の報道写真から人型を抜き出し、作品に用いていたことを思い出す。日常の裂け目、一種のカタストロフを切り取った報道写真をさらに脱文脈化し、反射的に、咄嗟に生じた人体の輪郭を作品に用い続けていた。

 

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ゴーストは、ただゴーストとして存在するのではない。

人が存在し、システムが生じ、その余白に立ち現れる。その土地その時代の常識では説明のできない、例えば病、障害、災害、事件をゴースト化する。システム化と脱システム化の半人半妖として、立ち現れる。

「見えないものが見える」のではない。「見えていないとされているものを見えるようにした」ものがゴーストだ。その存在を見つけ、現象化する主体は、子どもだったり、よそものだったり、メディアだったり、アーティストだったりする。

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話は戻って、アーツ前橋の岩根愛の作品の眼前に戻る。

日曜日の午後、家族で来ている客も多かった。小学校低学年くらいの小さな女の子が、「これってなんの写真なのー?」と言いながら作品に手を伸ばしていた。

すると、看視員が「さわらないでね!!」とかなりの大声で叱責した。幼少期の私だったら泣いていたくらいの剣幕で、大人の私も思わず身じろいだ。女の子はいたずらっ子というわけでもなさそうだが、肝は据わっているようで、「ごめんなさい…」と口ごもりながら親の方に足を向けた。

すると看視員は「間に合った、よね?」と続けた。指が作品に触れる寸前だった、ということを言いたかったのだろうか。「間に合う」という言葉にすごくふしぎな響きがあった。まるで作品に触ったらなにか良からぬことが起こるかのように。もちろん作品に触れないということは当たり前であり、親はちゃんと見ていてくれ、とは思う。

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しかし、あの女の子の行動が一番ゴースト的で、看視員の反応が最も「おびえ」だったと思う。

ゴーストが、美術館というあけすけなシステムの余白に、立ち現れていた。

『落下の王国』と現代音楽

 

たまには気の抜けたブログを書きますぞ。

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先日、『落下の王国(The Fall)』を見た。

石岡瑛子が衣装デザインをしているということもあって話題になっており、タイムラインやストーリーズでもよく名前を見かける。Bunkamuraル・シネマ渋谷宮下は地上と7階の落差(上昇差?)がすごい。昔の東急本店にあったBunkamuraも好きだった。

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とてもおもしろい映画で、かつ映画でしか作ることのできない作品だと思った。すべてのシーンが美しく、画になっていた。走馬灯、すなわちゾートロープの真骨頂のようなカットが2時間以上おしよせていた。あるいは、人間が観る夢をそのまま映像端子で出力した、fMRIを4Kリマスタリングしたような作品だった。あくまでスクリーンとして(夢を"みる"と言い、夢を"感じる"もしくは夢に"いる"とは言わないように)映し出されており、そこに身体性、物質性は介在しない。

すべてが極彩色なわけではなく、日常のシーンと極彩色な空想シーンが折り重なるのもそれぞれを際立たせていて良かった。

「限られた私の映画の知識から言うと、勇者ヨシヒコと、三体と、マッドマックス怒りのデスロードをすべて足したような映画だった」とパートナーに言ったら、「全部見たことないけど違うと思うよ」と言われた。

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ストーリーの無稽さ、映像美、そのほかにこの映画の一つ特徴として、世界遺産を含む地球規模のロケーション!であることが挙げられる。

https://youtu.be/53IdeMxih9k?si=qJ64BrLBVe7zRmQm

突然アンコールワットや万里の長城が出てきたりして、なんだこれはとなるわけなのだが、そのうちの一つにバリ島のケチャのシーンがあった。

ケチャを演じるバリ島出身と思われるキャラクターが念能力、すなわち常識や文明を超越した力で主人公たちを助けるのは、ガチガチのオリエンタリスムだなと思うわけだが、それはそれとして、私はケチャに触れるたびに毎回見ているYouTubeの動画がある。

youtu.be

川島素晴という大学教授/作曲家による「ケチャ講座」の動画だ。コロナ禍の映像講義の一部を切り抜いたものらしい。とにかくおもしろいし、とにかく勉強になるので、みんなもハマってほしい。普段の音楽というものがいかに西洋音楽のリズム感に毒されているかということも翻って理解することができる。

いつも通りこれを見て爆笑してまた別のYouTube動画を見ようと思ったが、おすすめに同じチャンネルの別の動画が表示された。

youtu.be

こんなに惹かれるサムネがあるか。この世に。

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私は今でこそ現代美術好きとして生きているが、小さいころはまったく美術に造詣がなく、どちらかといえば現代音楽に(中高生男子的インターネット冷笑しぐさとして)興味があった。

ジョン・ケージ「4'33"」やエリック・サティ「ヴェクサシオン」はみんな知っていると思うが、

ドラえもんのガールフレンド。 みんな知ってるね。 #ドラえもん

 

グランドピアノの中に猫を入れるとか、生きたクジラの体内に忍び込むとか、そういう作品がある。ビデオアートの先駆者であるナム・ジュン・パイクも現代音楽の文脈で名前を見た記憶があった。楽譜で漫画を描く冗談音楽ともかなり近いし、いわば私もそうした「冗談」としておもしろがっていた。

大学に入り、現代美術が好きになった。そのきっかけは宇治野宗輝という日用家電のノイズを使ってギターやアンプを鳴らすサウンド・インスタレーションを作る美術家だったし、音楽と美術の出会いが現代美術を作ったという椹木野衣『後美術論』も読んだ。

youtu.be

一方で、多数の現代美術の展示を見てきたうえで、現代音楽と現代美術は近いようで近くないところにあるような気がしていた。展示作品として武満徹のスコアを見かけたりすることはあったが、現代ではどちらもそれぞれ先鋭化して蛸壺化してしまっているということもあり、同じ場にのぼることは管見の限りなく、私は2020年代における現代音楽の現場を知らないままだった。(もちろんevalaや鈴木昭雄といったサウンド・アーティストもいるが、どちらかというと音楽という技術を持って美術をやっている、という人たちだと思う。)(そういえば2021年に3331アーツ千代田で「サウンド&アート展」という展示が催されていたが、これもどちらかというと音楽という技術の話だったと思う)

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そんななかで、川島素晴の作品群は私にとってミッシングリンクのようなものだった。完全にパフォーミングアーツであるといえる作品も多い。

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100円ショップで買ったもので音楽を奏で、最終的に「くるめられ」て終わるこの作品は私の友人たちも好きだと思う。

 

youtu.be

これはぜひコントラバス/ウッドベース奏者に見てほしい。そして身の毛を逆立たせてほしい。

 

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陶器を自作して、楽器として演奏する作品。あまりにも彫刻すぎる。

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現代音楽といってもジャズとクラシックを融合させ1960年代〜2000年代に活動したNikolai Kapustinなんかは最近よく聞いていたのだが、本当に現代の現代音楽の現場を知れたことが素直にうれしい。

www.youtube.com

 

『落下の王国』でも、それ以外のあらゆる映画や演劇や美術や大衆芸術でもそうだが、人間は視覚的にはいくらでも新しくアバンギャルドなものを求めているのに、聴覚的にはとかく保守的(=西洋近代的)であるということが感じられる。耳馴染みが良いという言葉はあるが、目馴染みが良いという言葉はない。

たまに7拍子や13拍子を使っただけで「変拍子」ともてはやされ、和楽器を使っただけで「日本らしい」ともてはやされ、既存のポップミュージックのスピードを上げただけで「Hyperpop」ともてはやされる(全部好きなんだけど)。

on.soundcloud.com

 

来年の目標は、とりとめもない話をとりとめることです。『落下の王国』の感想記事だと思った人、ごめんなさい。今からM-1を敗者復活から見ます。それでは。

別荘地と現代美術 - 軽井沢現代美術館とGASBON METABOLISM

2025年夏、山梨・長野方面へ二度訪れた。一度目は群馬から軽井沢・小諸・佐久へ、二度目は山梨から諏訪・塩尻・伊那へ。太田市美術館・図書館や山梨県立美術館にも訪れたが、印象深かったのは軽井沢現代美術館(長野県軽井沢町)とGASBON METABOLISM(山梨県北杜市)だ。どちらも初訪問である。

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軽井沢現代美術館は2008年に開館した現代美術を展示する美術館で、2025年9月23日をもって閉館した。運営は東京の神保町にある海画廊。「アートを一番買いやすいギャラリー」と自称している。

 

今回展示されていたのは草間彌生、村上隆、奈良美智、名和晃平、ロッカクアヤコ、白髪一雄、堂本尚郎、荒川修作、田中敦子、菅井汲など。いわゆる別荘地らしい、軽井沢らしい、画廊らしいと思わせるようなラインナップとも思えるが、2017年から美術を見はじめた新参者としては荒川修作、田中敦子、菅井汲がこの並びに入ってくるのはなんとなく違和感がある。白髪一雄、堂本尚郎はその中間だろうか。

田中敦子《91 h.dec 1991》

館内では"著作権保護"のために写真撮影の際には人物か物体を写り込ませる必要があり、持ち歩くための「ピクトくん」もいる。未訪だが大塚国際美術館も同じようなスタイルだった気がする。

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2008年開館というのは意外に新しいな、と思ったが、軽井沢というのはなんだかんだで新陳代謝が常に生じている別荘地・避暑地・観光地だと思う。かつては西武グループが積極的に開発し、近年は星野リゾートや蔦屋書店など大資本による施設も目立つ。

大きな美術館だけを取り上げてもセゾン現代美術館(1981年開館)にはじまり、メルシャン軽井沢美術館(1995年開館・2011年閉館、御代田町)とMMoP(メルシャンの跡地に2021年開館)、軽井沢千住博美術館(2011年開館)、軽井沢安東美術館(藤田嗣治を専門に展示、2022年開館)などがあり、その他無数の私設美術館が開閉館している。

ところでセゾン現代美術館は戦後アメリカ美術のコレクションが超良いのでみんな行ってほしい(現在改装のために長期休館中、2026年夏再開予定)。

土地における新陳代謝、かつ店舗や飲食店ではなく施設の新陳代謝というのはいわばかなり長期的な「投資」なわけで、この投資が起きつづけている首都圏周辺の別荘地・観光地は軽井沢のほか箱根に限られるのではないか(熱海は一度廃れたあとに盛り返している、という感覚)。一方清里や那須、伊豆半島、蓼科などはバブル期に作られた施設が閉館したりなんとか生き延びていたりというわけだが、それはそれとして。

巨大なボナールが見れる貴重な美術館、池田20世紀美術館(静岡県伊東市)

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そんな土地で「アートを一番買いやすいギャラリー」が運営する当美術館は、1m四方ほどの絵画作品が中心に並べられており、自然光を取り入れた落ち着いた室内空間になっている。

コロナ禍以前は入館料にお茶代も含まれていたらしく、アートコレクターの別荘にお邪魔するような、いわば「アートを所有したような気分にさせる装置」のような館だと感じた(購入したとして家に飾るのではなく倉庫に保管するコレクターも多いが)。実際、アートポスターを中心に手に取りやすい価格で販売されている作品も多く並べられていた。

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荒川修作《Shall we dance》

一方、作品が脱文脈化された、平面的な表象として置かれている感覚も否めない。荒川修作を突然置かれても正直何も理解できないよなとか(説明があったとしてなおさら理解できないのが荒川修作な気もしているが)、田中敦子の作品で電気服への言及がないとモチーフがなんなのかわからないよなとか、草間彌生と田中敦子は見た目には似ているかもしれないが描いているレイヤーはかなり異なっていないかとか、つまるところ文脈を共通していない作品が並んでいると感じざるを得ない。その点でいわば「スーパーフラットらしからぬ」作品に対して先述の違和感を感じたように思う。

 

その点では白髪一雄の《具体野外展示風景》はおもしろかった。芦屋公園で開かれた展示のスケッチだろうか。右の赤い丸太を切りつけて組み上げたものが白髪一雄の作品。田中敦子の作品はおそらく描かれていないように思う。

言うなれば、東京の「美術館」でここまでの大家を集めてこのキュレーションは為されないと思う(画廊/ギャラリーならありえるのかもしれない、そういえば森美術館「STARS展」は行かなかった)。ただ、ここが初めての荒川修作や田中敦子、菅井汲の体験となる人も多くいるだろう。来場客がこの館でどのように感じるか、どの作品に心を動かされるのか、その点がとても気になる。

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ところ変わって、山梨県北杜市明野町のGASBON METABOLISM(ガスボン・メタボリズム)。2022年8月開館。

山梨県北杜市は八ヶ岳の南麓に位置し、避暑地・別荘地として親しまれてきた清里を擁する市である。2004年に平成の大合併でできた市で、鉄道でいうと小淵沢の知名度が高いのと、サントリー白州蒸留所や水信玄餅の金精軒で知っている人もいるだろうか。中村キース・ヘリング美術館、清春芸術村(清春白樺美術館)、平山郁夫シルクロード美術館などの美術館も複数点在する。

美術館がたくさんある。そしてGASBONは表示されない(Google上では「アートスタジオ」として登録されている)

GASBONが位置する旧明野村はひまわり園やハイジの村という施設がある山麓の小さな観光地といったところで、別荘地の趣とは少し異なるが、広く見て別荘地エリアに位置する美術館、としたい(ちなみに清春芸術村も長坂という市街地の外れの山の上にある)。

運営はガスアズインターフェイスで、西麻布のCALM&PUNK GALLERYも運営しているアート系企業。CALM&PUNKは名前はよく見るのだけどなぜかたまたま今まで行ったことがない。

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外観の写真をこれしか撮っていなかった。

事前情報はほとんど仕入れられておらず、Instagramを見てみてもあまり良くわからない。本当にやっているのだろうかと思いながら県道を進むと急に大きな倉庫が現れ、東京ナンバーの車が多数停まっていた。

入場料は無料。入口でスタッフに「はじめてですかー?どこで知りました?」と聞かれ、「なんかわかんないけどインスタフォローしてました…」と入場。

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入ってみると想像以上に広大な床面積と天井高で、玉山拓郎、BIEN、DIEGO、谷口暁彦、さわひらきといった頻繁に名前を見る作家もいれば、知らない作家もいる。偶然ながら以前TOKAS Hongoで個展を見てとても良かった小林椋の企画展もやっていた。

 

小林椋の作品はよく動く。

企画展と常設展の境目もゆるく、かつ誰の作品かも分からない状態で点在している。企画展の案内文はあるが、作品キャプションはタイトル含め基本的に存在しない。作品の周りをよく見ると3cm四方くらいの小ささのパネルに作家名とQRコードが記載されており、紹介ページに飛ぶ。ただパネルがなかった(もしくは見つけられなかった)作品もあったと思う。どこまで作品なのかもわからないと言っても良い。

 

藤原彩人「造化する景色」展

なんだか妙に人が多く、車も駐車場がいっぱいで奥の空き地みたいなところに停めたが、イベントをやっていたのかもしれないし、イベントをやっていなかったのかもしれない。かなりよくわからない。

 

玉山拓郎の落ちるスパゲティの作品。杉並区高井戸の「高井戸芸術祭」で二度見ている作品で、ここで出会えて嬉しかった。

通路には子どもが描いた?と思われる絵も飾られている。

表現は異なれど、特定の文脈を共通しているように見えてしまうのはギャラリーのキュレーションゆえか、私が現代美術を中心に見てきているからか。同行者が「ギリギリの秩序で成り立っている」と言っていたが、まさしく。METABOLISMとは生物の恒常性や新陳代謝のことだ。生物の内側のような、あるいは美大の裏側のような自治区が成立している。

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BIENと石毛健太が手掛ける《HOW TO SCAN THE WORLD》

この夏に訪れた2つの美術館。私は現代美術と時代性の関連を論じることのできるような知識も文章力も持ち合わせていないが、あくまで私個人が肌で感じた体験として、スーパーフラットな絵画を基調とし、二次元の画像をパーソナルコンピューターのディスプレイで情報化される1990〜2000年代の「現代美術」と、彫刻やインスタレーションを基調とし三次元の映像を掌中のスマートフォンのカメラと液晶パネルで情報化される2010〜2020年代の「現代美術」として、好対照な存在であるように感じた。同じく情報化時代の賜物ではあるが、その情報の表出の仕方、受け取りの仕方は大きく異なる。

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企画展として展示されていた成田輝 個展「遠くのペラペラ」はまさに2020年代的な作品群であると感じた。

「登山時に見た眺めが、まるで平面のように見えた」という作家の体験をもとに作られた彫刻は、薄目で見ると単なる板のようにも見えるが、表面の凹凸で庭や自然が象られ、ペラペラ、かつツルツルでありながらそこにマテリアリティがある。作品を眼前にするとその凹凸がよく分かるのだが、斜めから見ると他作品の緑や壁の白が映り込んでおり、ステンドグラスのようにも見えた。反射と透過の倒錯。ポップなアニメアイコンをモチーフとした作品にも、確かな質感と彫刻性がある。二次元と三次元の間の距離は、離散的ではなく連続的なのだ。

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ところで、GASBONの同敷地にはブルワリー・台湾料理店であるMANGOSTEEN HOKUTOやアンティークショップもあり、ひとつの複合施設になっている。MANGOSTEENは世田谷の代沢に本店がある酒場で、本店の存在は知っていたもののこちらの店舗を知らなかった私は大いに驚嘆。かつ昼食にはぐれており「ガスボン定食とかあったらいいね」とうそぶいていた我々への僥倖だったのは言うまでもない。餃子がかなりうまい。ビール酵母を生地に練り込んでいるらしく、旨味がすごい。でも代沢では餃子は食べられないらしい。残念。

 

醸造

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別荘地とは、都会の喧騒から離れ、搾取や商品化の対象とされてきた土地であると言える。金持ちの道楽として、別荘や美術作品の所有があり、小金持ちの道楽として、貸別荘・分割所有や美術館がある。都会の資本が積まれ、都会の人が遊ぶ、都会ではない土地。

神保町と軽井沢、西麻布・世田谷と八ヶ岳。ともに約150kmの隔たりがある。おそらく東京都心から別荘地に向けられる視線は「現代」と均されるWW2後において、いつをその現代とするかで大きく異なるだろうとは思うが、そのまなざしの方向自体は大きくは変わらない。GASBONの異様な施設に押し寄せる東京ナンバーは、明野村の人からどう思われているのだろうか。

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奇しくも昨今Xでは美術手帖の編集長の投稿を発端とした「地方に美術はあるのか」「地方に美はあるのか」に関する醜い言い合いが繰り広げられていたし、そのあと"反・美大教育"を掲げるパープルームが東京/横浜の郊外である海老名にギャラリーを開いたことが話題だ(った。文章は2025年8月に書き始めていた)。

パープルームギャラリーにも数週間後足を運んだが、とてつもなく良くって涙が出そうになった。

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宮原嵩広《missing matter》

私が言いたいことは一つだけ、地方と都会の間に、郊外や片田舎、観光地という土地があるということ、そして私ができることは一つだけ、都会、郊外、片田舎、地方、観光地の美術館・ギャラリー・芸術祭に足を運ぶことだ。

 

しゃっくりが止まらない

 

しゃっくりが3日間止まらない。

 

正確にはしゃっくりが出たり止まったりを丸3日間くりかえしている。NHKドキュメント72時間である。声が出たり、喉が鳴ったりする大きなしゃっくりが多い。

もとから割としゃっくりが出やすい体質では比較的あって、お酒ではない炭酸飲料を飲むときはたいていしゃっくりが出る。酒だとなぜかあまり出ない。ハンバーガーにはアイスティーをつける。

息を止める、ツボを押す、コップの向こう側から水を飲む、驚かされる、水をゆっくり飲む、など一般的な対処法はすでに実施済である。私がYouTuberなら今たぶんジャンプスケアのホラゲーをしゃっくりが止まるまで耐久実況をしていると思う。

今のところ一番効果があるのは60℃くらいのお湯を1分以上かけて鼻で深呼吸をしながら飲み続けること。止まるときは早い段階で止まるので、そうなったら(もう動くなよ…)と念じながら1分以上かけて飲み干す。止まらないときは止まらない。

 

ただ、しゃっくりをむりやり止めるとむりやり止めたという腹になってしまい、ちょっとの刺激ですぐまた出始めてしまう。あー、これは出るな、というのがわかるようになってきた。止まるな、というのは決してわからない。ご飯を食べていたりするといつの間に止まっていることもある。

夜は一応寝れている。しゃっくりが出たままむりやり睡眠薬で脳を眠らせる夜もあった。起きたときには止まっている。でも朝起きて水を少しでも飲むと、またしゃっくりが出る。

 

しゃっくりは横隔膜の痙攣というが、たしかに焼肉でいうとハラミが一番好きなのでその呪いなのかもしれない。

しかし私はハラミどうこうの前にそもそも焼肉が嫌いなので、世の人と比べて横隔膜に恨まれるバロメータは低いと思うのだが。

だいたい、膜ってなんだ。筋肉ではないのか。胃や腸、肺と比べても存在感が薄く、印象はやはり焼かれたハラミの繊維感以外に思い浮かばない。しゃっくりのあとに一度ではなく二度お腹が動くときもあって、ゴムのような膜がぼよんと動いている感覚もある。

 

これで筋肉がついたり痩せたりするのであれば良いのだけど、別に腹筋に影響はないので、そんなことはないのだろう。

別に無視して生きろと言われれば無視して生きることもできるが、呼吸困難といえば呼吸困難である。小さいころは喘息持ちで、ヒューヒューと喉が狭まる発作が起きることがあったが、症状は違うもののそのときを思い起こすような、肺から脳に十分な酸素が回っていない感覚がある。胃や食道が刺激される、直接的な吐き気もある。

しかもよりによってこんなときに美容院の予定が入っていた。一度日程を動かしているのでもう一度動かすのも気が乗らず、切りづらいと思うんですけど…と言って問題なく切ってもらえた。白いカバーをつけていると腹部の振動が分かりづらくて良かった。愛想笑いが普段よりもぎこちない。

 

ギネス世界記録では68年間しゃっくりが続いた人がいたらしい。68年間しゃっくりが続いたことでWikipediaの記事にもなっている。

ja.wikipedia.org

もちろんチャールズも辛かっただろうが、別に68年間という数字を聞いて楽になるわけではない。私のつらさは矮小化されるわけではなく、1回1回確実にリズムを取らずにやってくる。西洋音楽というより東洋音楽的である。1分の1拍子。

 

明日も続いていたら病院に行こうとは思うが、普通に内科に行ったとしてなにか具体的に処置がされる気もしない。今年の頭に強烈な胃痛に見舞われ、ものがまったく喉を通らなかったがそれも関係しているのだろうか。そこまで人と比べて悪食でもない気もするのだけど、そういう自分の望みに関する事柄に限って人と比べるのはずるい気もする。大きな病気がないことを祈る。