【展評】倉俣史朗のデザイン —記憶の中の小宇宙

2024.01.06 15:30
倉俣史朗のデザイン —記憶の中の小宇宙
世田谷美術館

 

倉俣史朗インテリアデザイナー

名前としては知っているけど、どんな作品を作っていたかとかはあまり分からない状態で、 でもなんだか行ったほうがいいような気がして足を運んだ、初春にしては暖かい世田谷美術館。 自転車で家から30分くらい。2024年展覧会初めです。

内井昭蔵が設計した瀟洒な美術館、公園に面した明るく美しい部屋に置かれた、 テーブルと2脚の椅子のセットと、2脚の椅子。 最初の部屋だけは写真撮影が可能とのこと。

ああ、見たことはあるよな、アーティゾンとかにあるよね、確かにきれいだけど。

向かいの部屋には「プロローグー浮遊への手がかり」と称して初期の資料などが展示されている。 浮遊、かあ、と思いながら数枚写真を撮って歩みを進めた。

 

第1章、1つめの作品、《引出しの家具》(1967)を眺める。

なるほど、これはすごい、と感銘を受けた。
ソファーと引き出しが一体化しているファサードももちろん興味深いし、便利だろうな、とも思うのだけれど、特に背面に驚いた。

背面にも前面の布部分と同じサイズの「凹」が彫りこまれていて、 その隙間の寸法も決まっている(1分の1の拡大図も添えられていたので、重要な部分なのだと思う)。
浮遊って、こういうことか。

もちろん人が座るためのものとしてそこにソファーは存在するのだが、 人が体重をかけることによって、人と座面と背面とが空間から区切られ、別の空間に包み込まれる。
家具と身体とが融合し、浮遊する。

 

美術手帖より転載 https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/28080/

1つめの部屋の作品群 (第1章 視覚より少し奥へ 1965-1968 / 第2章 ひきだしのなか 1969-1975)は、 家具でありながらも幾何学的に空間を拡張し、 空間を仮想的なものとして象っていくような作品が多く、かなり好きだった。

プロダクトデザイン、インダストリアルデザインではなく、 インテリアデザイン、空間デザインとしての家具作品だ、と感じた。

球形のキャスターに乗った無色透明のアクリル板で作られたワゴン。
直径2mの円弧で左右に湾曲している棚。
螺旋のスプリングと座面だけで作られた椅子。
左上に向かって方眼が小さくなっていく棚。

円や球はそれ自体閉ざされていて完全なものであり、 一方で弧や螺旋、方眼(市松)は物理的な枠線を越える拡がりを持つ。 空間を切り断つ直線と幾何学図形を組み合わせることで、 時に二次元に、時に三次元に特別な空間を顕現させる。完全な球との接点は、本質的に一次元であり、本質的に面積を持たない。

家具というソリッドな境目をもって、逆照射としてその境目を曖昧にし、家具と人間を同じ空間に浮かばせる。空間の力学だ。

 

私が訪れた土曜日の午後の世田谷美術館は、混雑こそしていたけれど、視覚としては人が多いことがあまり気にならなかった。

少なくとも私が一人の鑑賞者として見る視点としては、アートとデザインの境目がここに現れていたように思う(なお家族連れなども多く音は気になるためAirPodsをつけて延々と雨音を流していた)。

踵を返して写真撮影が可能な部屋に戻る。iPhoneのLIVE撮影モードに長時間露光があって良かった。写真によって人が光として溶けていくように、家具によって人が空気として溶けていく、そんな空間が立ち現われる。

 

美術手帖より転載 https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/28080/

次の部屋(第3章 引力と無重力 1976-1987)では、その名の通り《硝子の椅子》や、金属ネットで作られた《ハウ・ハイ・ザ・ムーン》など、家具では通常あまり使われない素材による作品が増える。

家具自体の境目を問い直し、家具というもの、そしてそれを使う人間を、空間、大気、大地に溶解(not melt, but dissolve)させているのだろう。

《硝子の椅子》を眺めていて、作品自体はもちろんのこと、地面に映る影、というか像が目に留まった。人が座るときに重心が向かうであろう位置にその透過光が落ちていて、見えない力、重み、引力が可視化されているようでもある。 無色透明の、質量のない人間がその椅子に座っているようでもある。

展示全体を通してたいへん緻密なライティングで、 展示のインストールとしてとても素晴らしいものだったと思う。

併せて展示手法に関して、多くの作品が白い円形の板に載せられて展示されていたという点もおもしろい。

もちろん作品保護という観点や視覚的な効果もあるだろうが、 鑑賞者が自然とその円の外から作品を眺めることを促されるため、 パフォーマティブに作品を作品として周囲の空間から浮遊させる効果があり、 これまたとても良い仕掛けだったと思う。

 

美術手帖より転載 https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/28080/

足を進めると豊かな色彩を持つ作品が多く並べられている部屋に入る(第4章 かろやかな音色 1988-1991)。

《ミス・ブランチ》。造花を閉じ込めた椅子。倉俣(の家具)が操る次元は、空間を越え、ついに時間の次元にまで達した。 近寄って見つめると、造花であるがゆえに周りに小さく強靭な産毛がついていて、空気の層がうっすらと見えている。 生き永らえている、と思った。琥珀の中で、時空を飛び越えている。

《カピネ・ド・キュリオジテ》や《オブローモフ》(バーの模型)など、アクリルで作られた色彩豊かな作品も大変美しい。 透過光のなかで、色が重なったり、分かれたり、床に落ちたり。音色が生じる。

色の違いは、可視光線のなかでのほんの少しの波長、速さの違いで生まれている、 というごく当たり前のことを思い起こさせる。 数千万年間の琥珀を想起させる地球規模の時間も、網膜でしか感じられない電磁波としての時間も、 かろやかに、音色として、操るところに至ったのだ。

 

美術手帖より転載 https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/28080/

(エピローグ 未現像の風景)
そして行きつくのは、夢の世界である。

あらゆる次元を取り払い、どこまでも広がり、どこまでも縮む、無限大かつ無限小の世界。そこに我々の感知できる次元空間は、存在しながらに存在しない。

 

非常に良い展示、そして良い作品、良いものづくりでした。

倉俣自身のものづくりがどのように変化、拡張してきたかということがとても明瞭で、 展示という語り部もそのストーリーを的確に、そして美しく演出していたと思います。

内井昭蔵の白亜の建築も倉俣の作品の背景、部屋、窓としてよい相互作用を生み出していたし、 だからこそ富山県美や京都国近美での巡回展も見てみたくなった。

行ってよかった。世田谷美術館では1/28までやっているので、駆け込みで行ける方はぜひに。

 

以下書き散らし。

ところで私は曲がりなりにも空間デザインの会社で、 曲がりなりにもクリエイティブ職として仕事をしているわけです(しっかり心を病み、☆現在絶賛休職中☆) 。

この曲がりなりにもという言葉に自己の卑下とともに環境の卑下の意識があるところが非常に性格が悪いのだが(第一志望だったし、周りの人はいい人です)、 それはさておき、自分のやりたいこと、自分の仕事についてもすごく考えさせられる展示だった。

本当はこういうことがやりたいのかもしれない。 やっぱり、ものづくりがやりたいのかもしれない。 桑沢に通おうか、とか、自分で何か手ざわりのあるものを作ってみようか、とか。 別に倉俣史朗になれるわけはないし、なりたいとも思わないけれど。

もちろん広告媒体がありあふれるこの現代で、 「空間」や「(実)体験」にお金をかけられるのはBtoB企業やハイブランドのBtoC企業などのお金持ち企業ばかりだとか、 実際にガラスでオブジェクトを作れるかというとお金も技術面も難しいよねとか、そういうことも、いろいろ分かってしまう、けど。

会社の後輩で大卒後に桑沢やその他の空間デザインの専門学校を出て、総合職(=プロデューサー職)に志望して就いている人が複数人いることを思い出した。 もちろん学校に通ったからといって私の何が変わるかは分からないけど、私は今いる環境を生かしきれてないのだろうなとも考えさせられる。 素材や構造について知識を得た上でもう一度同じ会社で仕事をしてみるみたいなこともあるのかもしれない、そうすればもっとものづくりに関われるのかもしれない。

まあ、何をするにしても、「思い切り」と「お金」が必要なのがこの人の世というもので、 「三大・私に足りていないもの」の2つ(もうひとつは「努力」)なので、こうしてだらだらとキーボードを打ち付けていることが、まあやるせないのですが、 まあそれはそれでそんな感じです。それでは。